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この土偶、現代でも突出してる。

この土偶、現代でも突出してる。

縄文時代、人は何を考え、何を築いてきたか」

縄文時代を象徴するのが土偶

しかし縄文時代の研究が進む中で、未だなんの為の存在かという事が明らかになっていないのがこの土偶です。様々な説がありますが決定的なものがない。なんの為にというのは個人のお守りから集落の守護象徴だったり、シャーマンの印だったり、安産の祈りのものだったりと説は複数存在し、実際には多様な目的があったのではないかと思われます。いわば土偶とは縄文人の精神世界そのものを現している。


その中で今回の記事では国宝土偶である「縄文のビーナス」「仮面の女神」について書かれた興味深い記事を紹介します。


>縄文のビーナスと仮面の土偶については完成度の高さや大きさから見ても明らかに むら全体で共有された土偶でしょう。それを扱っていた人が亡くなったときに一緒に埋められたのではないかと想像します。
縄文のビーナスは完全な姿で出土しますが仮面女神のほうは右足が折れて出土する。どうも意図的に折り取ったような打撃の痕跡があり、後者の場合、土偶に何らかの始末というか決着をつけなければならなかった・・・そういう背景があったのかもしれません。

縄文人は基本的には土偶を壊していない。壊れるまで大事にしていたからに他なりません。この事実は動かないとは思いますが、仮面の土偶の場合はキリング(壊しておかないと災いを起こす)のような特別な所作があったのかもしれません。

縄文のビーナスと仮面女神造形も異なり年代も1000年ほど異なります。
ビーナスは縄文中期で人工もピークを迎えたあたり。最も縄文が栄えた時代でビーナスという愛称が示すように豊満です。仮面の女神縄文時代後期前半で人工減少が顕著になった時期のもの。中期には10数棟で構成された環状集落が後期前半には1,2棟になってしまい、やがて八ヶ岳周辺は無人の荒野になります。後者は逆三角形の仮面をかぶっていて、ビーナスとは異なる神秘的な雰囲気を醸し出している。この表現の違いが社会状況に大きく反映されていると思います。

縄文時代に入って人口が減った原因はなんだろうか?気候変動だけだろうか?
縄文時代は温暖だったと言われますが、中期後半から後期にかけて3度ほど大きな寒冷期があったと言われている。人工減少の動因のひとつだと思いますが、それだけでは説明できません。私が考えているのは社会的矛盾です。定住によって狩猟採集生活の基盤が安定したのですが、その安定性が集団の発展を促すうち・・・つまり集落が大型化するにつれ、階層や格差のような矛盾が始まり、社会が複雑化した。狩猟採集社会の平等や協業、和が維持できなくなったのではないでしょうか。例えば三内丸山は37ヘクタールの巨大なむらでしたが繁栄は続かず、中期末には終焉に向いました。

人工減少の原因としてもう一つ考えられるのが環境問題。集落が巨大化してゴミや糞尿の浄化が自然の処理能力を超え、生活環境が劣悪になったことも背景にあるかもしれない。私達が体験している都市型のひずみと同じです。現代社会を見るとわかりますが、人工はピラミッド構造でないと維持できません。相互扶助で生きてきた丸い社会が親分をトップにした縦社会に変わっていく中で制度的な問題が噴出し始めた。そこへ気候の変動や環境衛生の悪化が重なってむらが分散したというのが私の見立てです

その意味ではこの2つの土偶はそれぞれの時代状況を投影しています。

ビーナスはある意味、縄文の黄金期。これが出た棚畑遺跡は数百年後に衰退し始め、後期中頃からやっと立ち直り、状況をなんとか維持します。仮面の女神はその時代の土偶ですが、出土した中ヶ原遺跡は、直後から再び集落が衰退し、やがて消滅します。
そもそも仮面というのは変わりたいという願望の表れ。別の存在になる。本来はシャーマンの装束だと思うのですが、土偶自体も仮面をかぶっている。そこに深い意味があるのではないでしょうか?たとえばこれは能に出てくる翁ではないかと。

豊満なビーナスの方は人間の根源的な願望である、出産、育児の安全、子孫繁栄のような願いの象徴だと思うのです。(縄文時代は栄養が不足していたため)お乳が出るかでないかが問題だったわけですから、だからおっぱいが強調されている。しかし仮面の女神の造形にこめられている意味はもう少しややこしいというか、切実な社会的背景、強い変化願望、そういうものを含んでいるように思います。




■国宝「縄文の女神」
 縄文の女神は、高さ45cmと見つかっている完形土偶の中で最も大きい土偶です。重さは3.155kgとちょうど新生児の重さと同程度です。

頭部は半円形に丸くなり、複数の孔(あな)が開けられています。眼・鼻・口の表現がないのが特徴です。W字のシャープな胸、尖ったような腹、どの部分も洗練された形をしています。また、お尻は後ろに突き出ており、その形から「出尻形土偶(でっちりがたどぐう)」と呼ばれています。すそ広がりの脚の底面は少しえぐって、焼むらを抑えようとしています。


縄文の女神(正面左向き) 縄文の女神(左側面) 縄文の女神(背面右向き)

2019年03月07日

縄文時代、人は何を考え、何を築いてきたか」第4回~土偶”ビーナスと仮面”は何を語っているか

縄文時代を象徴するのが土偶

しかし縄文時代の研究が進む中で、未だなんの為の存在かという事が明らかになっていないのがこの土偶です。様々な説がありますが決定的なものがない。なんの為にというのは個人のお守りから集落の守護象徴だったり、シャーマンの印だったり、安産の祈りのものだったりと説は複数存在し、実際には多様な目的があったのではないかと思われます。いわば土偶とは縄文人の精神世界そのものを現している。
その中で今回の記事では国宝土偶である「縄文のビーナス」「仮面の女神」について書かれた興味深い記事を紹介します。

~「縄文探検隊の記録」より

>縄文のビーナスと仮面の土偶については完成度の高さや大きさから見ても明らかに むら全体で共有された土偶でしょう。それを扱っていた人が亡くなったときに一緒に埋められたのではないかと想像します。
縄文のビーナスは完全な姿で出土しますが仮面女神のほうは右足が折れて出土する。どうも意図的に折り取ったような打撃の痕跡があり、後者の場合、土偶に何らかの始末というか決着をつけなければならなかった・・・そういう背景があったのかもしれません。

縄文人は基本的には土偶を壊していない。壊れるまで大事にしていたからに他なりません。この事実は動かないとは思いますが、仮面の土偶の場合はキリング(壊しておかないと災いを起こす)のような特別な所作があったのかもしれません。

縄文のビーナスと仮面女神造形も異なり年代も1000年ほど異なります。
ビーナスは縄文中期で人工もピークを迎えたあたり。最も縄文が栄えた時代でビーナスという愛称が示すように豊満です。仮面の女神縄文時代後期前半で人工減少が顕著になった時期のもの。中期には10数棟で構成された環状集落が後期前半には1,2棟になってしまい、やがて八ヶ岳周辺は無人の荒野になります。後者は逆三角形の仮面をかぶっていて、ビーナスとは異なる神秘的な雰囲気を醸し出している。この表現の違いが社会状況に大きく反映されていると思います。

縄文時代に入って人口が減った原因はなんだろうか?気候変動だけだろうか?
縄文時代は温暖だったと言われますが、中期後半から後期にかけて3度ほど大きな寒冷期があったと言われている。人工減少の動因のひとつだと思いますが、それだけでは説明できません。私が考えているのは社会的矛盾です。定住によって狩猟採集生活の基盤が安定したのですが、その安定性が集団の発展を促すうち・・・つまり集落が大型化するにつれ、階層や格差のような矛盾が始まり、社会が複雑化した。狩猟採集社会の平等や協業、和が維持できなくなったのではないでしょうか。例えば三内丸山は37ヘクタールの巨大なむらでしたが繁栄は続かず、中期末には終焉に向いました。

人工減少の原因としてもう一つ考えられるのが環境問題。集落が巨大化してゴミや糞尿の浄化が自然の処理能力を超え、生活環境が劣悪になったことも背景にあるかもしれない。私達が体験している都市型のひずみと同じです。現代社会を見るとわかりますが、人工はピラミッド構造でないと維持できません。相互扶助で生きてきた丸い社会が親分をトップにした縦社会に変わっていく中で制度的な問題が噴出し始めた。そこへ気候の変動や環境衛生の悪化が重なってむらが分散したというのが私の見立てです

その意味ではこの2つの土偶はそれぞれの時代状況を投影しています。

ビーナスはある意味、縄文の黄金期。これが出た棚畑遺跡は数百年後に衰退し始め、後期中頃からやっと立ち直り、状況をなんとか維持します。仮面の女神はその時代の土偶ですが、出土した中ヶ原遺跡は、直後から再び集落が衰退し、やがて消滅します。
そもそも仮面というのは変わりたいという願望の表れ。別の存在になる。本来はシャーマンの装束だと思うのですが、土偶自体も仮面をかぶっている。そこに深い意味があるのではないでしょうか?たとえばこれは能に出てくる翁ではないかと。

豊満なビーナスの方は人間の根源的な願望である、出産、育児の安全、子孫繁栄のような願いの象徴だと思うのです。(縄文時代は栄養が不足していたため)お乳が出るかでないかが問題だったわけですから、だからおっぱいが強調されている。しかし仮面の女神の造形にこめられている意味はもう少しややこしいというか、切実な社会的背景、強い変化願望、そういうものを含んでいるように思います。