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始原の言語・日本語の可能性 母音の感性が生む心開く会話

始原の言語・日本語の可能性~(6) 母音の感性が生む心開く会話

日本語は、実体(対象)と発音が一致した美しい言語。その音を発する時の口腔内感覚→発音体感が、それが指し示す対象(実態)の様子と密接に関わっている。
これまで、子音の発音体感について3回にわたり、そして前回は、母音(アイウエオ)の発音体感の分析を展開してきました。
実体と発音が一致している美しい日本語(カ行、サ行、タ行の分析)
2重母音が作り出すやわらぎの意識(ヤ行、ワ行の分析)
ラ行(R)は哲学の響き/ナ行(N)は抱擁の感覚/ハ行(H)は熱さをあらわす
母音が作り出す感性 (ア、イ、ウ、エ、オの分析)
今回も、前回に引き続き、日本語は母音言語と呼ばれる、その「母音」の発音体感について分析を展開します。
以下、囲み部分は、黒川伊保子氏「日本語はなぜ美しいのか」より引用。


(前回の続きです)
さて、渋谷で妻を見かけた夫の話である。夫婦関係が健全なら、夫は近づいて声をかけようとするだろう。このとき、「あっ」で吊られたようになっている身体の呪縛をほどくには、ほっと力を抜くオと、前に出るイの組合せ「おい」が一番効く。出だしの瞬発力が要求されるシーンなら「いけっ」もいい。しかしまあ、容疑者を見つけた刑事じゃないんだから、ふつうは「おい」だろう・「おい、きみ」でI音を追加するとさらに体が前に出て、歩くのが楽である。
しかし、、妻の隣に若い男がいたら、夫は「えっ」とのけぞって、再び立ち止るに違いない。エは、発音点が前方にありながら、舌を平たくして、下奥に引き込むようにして出す音だ。このため「広々と遠大な距離感」を感じさせ、前に出ようとしたのに、何かのトラブルでのけぞる感覚に最もよく似合う。(中略)
さて、渋谷の妻の話に戻る。妻の隣にいたのが、最近とみに背が伸びた自分の息子だったら、夫は再び「おいおい」と言いながら、ふたりに近づくはずだ。この場合の「おい」は、ほどけるオのほうにアクセントがある。妻を呼び止めようとした、最初の「おい(い にアクセント)」とはニュアンスが違う。
ほっとした思いも手伝って、「おまえたち、こんな時間にこんなところで、何、遊んでるんだ?」とちょっと偉そうに声をかけて、「あなたこそ、残業じゃなかったの?」と言い返されたら、出す声は「うっ」しかない。受身で痛みに耐えるときのウである。

この、「あっ」「おいっ」「えっ」「おいおい」「うっ」のアイウエオ、身体感覚と密接に結びついているのがお分かりになっていただけただろうか。ニュートラルバランスのア、前にぐっと出るイ、受け止めるウ、退くエ、包み込むオ。これは、とりもなおさず口腔内の出来事である。
口腔部を高々と上げ、喉も口唇も開けっ放しにするア。あっけらかんと開放的で、ものごとにこだわらない感じが、アの発音とともに脳に届く。喉の奥から舌の中央部に向けてぐっと力の入るイは、前方に身体を運ぶパワーがある、前向きで一途な感じが、イの発音とともに脳に届く。
舌にくぼみを作って力を溜め込むウは、身体をくの字に折って、何かに耐えるような意識を作り出す。内向的で、内に秘めた潜在力を感じさせる。
舌を平たくして下奥に引くエは、広々とはるかな感じを脳に届ける。身を低くして退く体感を髣髴とさせるので、奥ゆかしさを生み出し、文脈によっては卑屈な感じを生み出す。「エへへ」という笑い声に卑屈な感じがあるのは、このためだ。
口腔内に大きな空洞を作り、そこに音声を響かせるオは、大きな閉空間を思わせる。包容力を感じさせ、リラックスさせる。大物を髣髴とさせる音でもある。
このような母音の与える身体感覚は、明確であり、ほとんど個人差がない。アンケートなどとらなくても、その回答はことばそのものの中にある。「小さく」て「機敏な」ものにはイ段の音が格段に多く、「大らか」で「茫洋」としたものにはオ段の音が格段に多い。口腔部に大きな閉空間を作っておいて、小さく機敏な感じがしたりはしない、というのは、熱いものを触って、冷たい感じがしないのと同じくらいに、物理的に明確な現象なのである。
【心を開く会話】
さて、このように、自然体で素朴、しかも身体性と密接に結びついている母音は、会話で上手に使うと、相手の心を開くことができる。
たとえば、あいづちを打つとき、単に「そう」というより、「ああ、そうなの
」「いいね、そうなんだよね」「うんうん、そうそう」「えっそうなの?」「おっそうかい?」などと、母音と一緒に言ってあげると、相手は、あいづちの本人をずっと近くに、親密に感じる。
部下や子供、異性と接するとき、相手の本音を聞きたいと思ったら、母音のあいづちはよく効くので、覚えておくといいと思う。
さらに、「おはよう」「お疲れさま」「ありがとう」など、母音の挨拶を心がけると、ぎすぎすした職場に連帯感が生まれる。凍りついた夫婦関係がゆるむ(こともある)。
逆に、心が開くと、自然に母音のことばが増えてくる。デートの最後に「楽しかった」と言われたのなら合格すれすれ、「嬉しかった」と言われたら大成功である。「イヤ」と言われたらもう一押ししてもいいけど、「ムリ」と言われたら引きさがったほうがいい。
【甘えさせない会話】
人間関係の中では、ときには、相手と距離を取りたいこともある。踏み込ませない、甘えさせない会話を作るときは、子音の強く響くことばを使うことだ。
日本語は全ての拍に母音がもれなくついてくる(拍は日本語の発音最小単位。カナ一文字にあたる)。このため基本的には心開きあうことばが多いのだが、その中でも中国由来のことば、すなわち音読みの熟語は子音が多く、強く響く。
たとえば、仕事で同席した女性に、「ご一緒できて嬉しかった。ありがとうございました」と言われるのと、「ご臨席いただき、光栄でした。感謝いたしております」と言われるのでは、ずいぶん雰囲気が違うはずである。
「嬉しかった、ありがとう、さようなら」と「光栄でした。感謝します。失礼します」では、心の距離がかなり違う。前者なら「帰りにお茶でも」と誘えても、後者だとつけ入る隙がない。下手をすれば、別れの挨拶を差し挟む余裕もない。
生徒に「みんな、がんばろう」というより、「諸君、目標達成だ」と言ったほうが、子供たちの背筋が伸びる。部下も同じことである。また、「だめよ」と言うより「失礼よ」と言ったほうが、セクハラ男を退けられる。

渋谷のセンター街で妻を見かけてしまった男の「あっ」「おいっ」「えっ」「おいおい」「うっ」、見事な分析ですね。そして、母音を豊かに含むことばを会話で上手に使うと、相手の心を開くことができる、これも、フムフムの連続でしたね。
そして、黒川氏は、このような母音を多く含む日本語の性質は、日本人の民族性にも大きく関わっていると言います。次回はその辺を追求していきます。