magoさんのブログ

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おやじの死

?H1>1月17日(日曜日)、親父が他界した。享年81歳
死因は急性心不全、誰にもみとられることなくの死でした。前日までの返信年賀状の書き損じ、某健康食品の注文、通路の雪かき周辺の方との会話等をお聞きすると余りにも突然でした。母は県外の病院に長期入院しており看護しながらの生活でしたので・・・今思うと元気に動き回ってる姿がおやじらしい昔気質の気骨であったように思えます。兆候はあったはずなのですが、本当に申し訳ない。

日頃、日常生活に『死』というものが何処かに埋め込まれていたとして現実に叩き付けられると、おやじの顔を見るのも辛かったし、涙、言葉が出なかった。そのまま一緒に何もせず

現実はそうはさせてはくれません。
以降は喪主として腹を据える以外に逃げ道も無し
隣保の方々、親戚の方々、妹達の嫁ぎ先の方々、娘の嫁ぎ先の方々に支えられて
無事初七日法要まで終えることが出来ました。

本当にありがとう御座いました。


家族で、棺に納めるのも初めての経験。それまで感じていた「死」の冷たさより、おやじの亡きがらに触れることである種の暖かさが周辺を包み込んでいくように思えた。

僕は言葉に出さなかったけど親父と対話していた様な気がする
おそらく妹達も、子供達も孫達も全員そうだったに違いない。

通夜、葬式共に予想していた以上の人数が集まった。

その中で地元の方々が・良(兄)に~、・良さんと涙を見せながらの言葉が強く胸に響いた。
おやじは良き隣人にも恵まれていたのだと娘や孫、ひ孫同様みんなに優しかったのだと、羨ましくも思えた。

お葬式も無事に終り、おやじが家に戻ってきた。

妹3人その子供、孫、ひ孫達で実家は賑やかだったのだけれど、
お葬式の次の日、私は日頃からお世話になっている方々へのお礼と借財があれば支払いを済ませに、ここでもおやじの生き様を見せつけられた。全て現金払いで、僕としては僕にも何かさせろて
(銀行、保険、は本人が亡くなると閉鎖されるのですね)
後はめんどくさい相続が僕で何代目になるのか詳しくは聞きもせず、只言えることはご先祖様の御位牌だけは僕の代で絶えることなく何が何でもそして次に引き継ぐことも

おやじは最後もおやじらしく僕に宿題を残し旅立っていった。
今まで自由にさせてくれたのはこれが為だったんですかね。

おやじ、お袋のことはもちろんだけど、僕に任せておけ。

きっとあの世への道中だろうけど大好きな焼酎でも飲んで、のんき道中を楽しんでるんだろうな。

おやじ、今までお疲れ様でした。ありがとうね。僕もそのうちに





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