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■1知らんかった日本人の習慣PART2〜年末年始編〜


■1知らんかった日本人の習慣PART2〜年末年始編〜

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/img/img4652_00title091217.jpg 毎週木曜深夜に関西で放送している“知的好奇心バラエティ”です。

 日本人が無意識に行っている習慣やならわし。
 なぜそうするのか?意外と理由は知られていませんよね。

 ということで、5月7日放送「知らんかった!日本人の習慣」(
拙ブログに内容紹介あり)に続く第2弾。今回は年末年始編です。

 例によって、番組の中身をざっくりとですが、まとめてみました。
 
【当日のテレビ欄より】
習慣に隠された謎▽おせち料理ミステリー▽夫は妻に気づくのか

【出演者】
ハイヒール(リンゴ・モモコ)、筒井康隆江川達也
たむらけんじブラックマヨネーズ(小杉・吉田)
御秒奈々岡元昇(ABCアナウンサー)
橋本裕之(ゲスト。盛岡大学文学部日本文学科教授。05年にはNHK大河ドラマ義経』の芸能考証を担当する。主な著書に『王の舞の民俗学的研究』『演技の精神史——中世芸能の言説と身体』『心をそだてる子ども歳時記12か月』など)

※一部進行を変えて再構成しています。
※「ハテナの自由研究」コーナー(たむらけんじの「妻が急に美しくなったら旦那はわかるのか?」)はカットしました。
※画像はテレビ画面から私が撮影したものの他に、
こちらからDLさせていただいたものを使用しました。


 大ざっぱな内容紹介ここから_________________________
 
 節分、ひな祭り、七夕……。

 春夏秋冬、四季の自然とともに暮らしてきた日本人は、昔から季節の習慣やしきたりを大切にしてきた。
 
 年末年始には、我々が特に気をとめずにやっている習慣やしきたりがたくさんある。

 たとえば5月7日放送の第1弾で紹介した、これ。

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◆大晦日の年越しそば

 なぜ年越しにはそばを食べるのか?
 江戸時代、金細工職人たちが、仕事場に飛び散った金粉を集めるためにそば粉を練って作っただんごをとりもちのように使っていた。
 だから、そばは金を集める縁起のいいものとされるようになった。
 そこで年越しには「来年もお金が集まりますように」との願いを込めて、そばを食べた。
 ちなみに江戸時代の年越しそばは団子型だったが、それがいつの間にか細いそばに変わっていった。


 盛岡大学教授の橋本裕之氏曰く。

 「年の瀬、大みそか、お正月。古い風習はずっとあったと思っていませんか?でもこの年末年始に行われる行事や習慣のルーツを探っていくと、ほとんどは、えっ?ホンマ?と思うものがものすごく多い」
 「現在行われている年末年始の習慣は、明治時代になって劇的に変化したものがとても多い」


■■■意外に新しい!?ニッポンの年末年始■■■

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◆日が暮れたら新年

 現在は大みそかの深夜12時をもって「あけましておめでとう」となるが、江戸時代の暦では、12月31日の日没をもって新年が始まった。
 江戸時代の暦は旧暦が使われており、1日の境は日没と決まっていた。
 つまり日が暮れると次の日になったのだ。
 だから大みそかも、日が暮れたら新年が始まる。
 現在のように深夜12時が1日の境になったのは、明治5年に太陽暦が日本に導入されてから。

 このため江戸時代には、お節料理も今で言う大みそかの夜に食べられていた。
 現在も、北海道、東北地方の一部で、大みそかの夜にお節料理を食べる習慣が残っている所があるのだそう。

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◆お節料理

 毎年、正月にやってくる年神(歳神)様へのお供え物。
 年神とは、田畑の豊作を司っている、古くから日本で信仰されてきた神様。
 江戸時代の人々はこの年神を迎えるために、新年最初の料理にお節料理を用意したのだ。

 年神を迎えるための準備はお節以外にもいろいろ現代に残っている。
 たとえば……。

◆大掃除

 一年の汚れを落とし、きれいな家に年神を迎えるため。

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/img/img4655_03kadomatu.jpg◆門松

 年神を迎えるための目印。

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/img/img4656_04kagamimoti.jpg鏡餅

 年神の休憩所。座ると魂が宿ると言われている。

 田畑の収穫が人々の生死までも左右する当時の日本では、年神への信仰がそれほどまでに厚かった。
 お節料理を食べるということは、そんな年神への捧げ物をいただくということなのだ。

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◆除夜の鐘

 江戸時代、除夜の鐘は現代と同じく、大みそかの夜に鳴らされていた。
 が、先述したように、江戸時代ではこの時間はもう新年のはず。
 では、なぜ除夜の鐘が新年に鳴るのか?!

 現在では、除夜の鐘は、鐘を108回つくことで1年分の煩悩を払うと言われる、年末最後の習慣。
 しかし江戸時代では、これから1年間、煩悩にとらわれないよう祈願するために、つくものだった。
 明治時代に暦が変わっても、鐘をつく時間は変わらなかったため、年末につくものになってしまったのだ。

 ちなみに静岡県大石寺では、新年になってから除夜の鐘をつき始めるという。

◆お年玉

 江戸時代では、お年玉はお餅だった。
 大人も子供もなく、一家の家長が家族などにあげる(目上のものが目下のものにあげる)お餅がお年玉だった。
 年玉とは、年神の魂から生まれた言葉。
 そして、その魂が宿るのが鏡餅
 年神が訪れた神社が鏡餅を割って、皆に分け与えたのがお年玉の始まり。
 それがいつしか、大人が子供にお小遣いとして現金をあげるしきたりに変わっていった。

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/img/img4658_06zouni.jpg◆お雑煮

 お雑煮は江戸時代と変わらない。


■■■日本のお正月を変えた男 初詣今昔物語■■■

 初詣と聞くと、すごく昔からある習慣と思いがちだが、そうではなくて、明治時代に大きく変わった習慣。
 その裏にはある人物の先見の明があった……。

   伏見稲荷大社 277万人(2009年)
   住吉大社   235万人(2009年)

 お正月の三が日、日本各地の有名寺社は、初詣のために遠くからやってきた多くの参拝客であふれかえる。
 しかしこの初詣、江戸時代までは現在行われているものとは全く違っていた。

 江戸時代までは、初詣は「恵方参り」と呼ばれ、自分の家の近所で恵方、つまりその年の縁起の良い方角にあるお寺や神社にお参りするのが普通だった。
 地元の神社に祀られる神々が日々の生活を守ってくれていると、当時の人々は信じていたのだ。

 ではいつ、そしてなぜ、日本人は今のように遠方に行楽を兼ねて出かける初詣を始めたのか?
 そこには一人の男の先見の明があった。

 時は明治30年
 当時、弁護士だった立川勇次郎は、新しいビジネスを模索していた。

 そんなある日のこと、立川は庶民たちのこんな会話を耳にする。

 「おまえ、一度ぐらい汽車に乗ってみたくないか?あれは楽しそうだぞ」
 「高いですよ。でもやっぱり乗ってみたいですよね」

 当時の庶民にとって汽車に乗ることは憧れ。
 しかし、日本で最初に走った官営鉄道の新橋〜横浜間の運賃は36銭(普通クラス)。
 高級寿司1人前が10銭の時代。
 庶民にとっては非常に高額だった。

 再び庶民たちの会話。

 「来年の恵方は東だよな。正月の恵方参りに、汽車に乗って行ってみるか?東に向かって乗ればいいんだし、罰は当たらんだろう」
 「恵方参りに汽車ですか。1年に1度の贅沢だし、乗ってみましょうか」

 これだ!汽車に乗って恵方参りをする!
 ここにビジネスチャンスを見出した立川は、さっそく地図を広げる。
 立川が目を付けたのは川崎。

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 川崎大師という立派なお寺まで、駅から2km以上ある。
 ここに線路を通せば、川崎大師に恵方参りに行く客が必ず利用する。
 絶対に成功するはずだ!

 ただ、当時は恵方参りは地元の寺社でするのが普通の時代。
 立川の挑戦は無謀なものに思われた。

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 そして明治32年
 川崎駅の近くから、川崎大師の間にわずか2kmの線路を開通。

 迎えた正月。
 なんと、電車は満員。川崎大師に恵方参りをする人々が激増したのだ。

 利用客の声。

 「大師電鉄があるから川崎大師に行きやすくなったなあ」
 「ああ、ラクチンだし楽しいし、これからの恵方参りは電車だな」

 立川のもくろみは見事に的中。
 だが彼の野望はもっと大きかった。

 「初詣はまだまだ変わるぞ。これからは恵方などには関係なく、毎年各地から川崎大師に来る参拝客を集める。そのためには東京方面に線路を延ばす!」

 しかし、東京方面は現在のJR、官営鉄道(略して官鉄)がすでに走っている。
 周囲は反対したが、立川には策があった。

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 立川は反対を押し切り、最初の線路開通からわずか2年後の明治34年、官鉄と並行するように東京方面に線路を延長。
 東京からの客が乗り換えなしで川崎大師に来れるようにした。

 しかし人々は恵方にこだわらず、参拝に来るようになるのだろうか?
 それに対する立川の秘策とは、こういうものだった。

 「来年の正月、運賃の割引を断行する。官鉄に勝つにはそれしかない。そしてこの値下げをきっかけに、日本の正月を変えるんだ」

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 当時のチラシがこちら。
 電車の運賃を値引きするのは、極めて異例のことだった。

 立川のもくろみは、再び当たるのか?

 迎えた正月。
 大師電鉄の車両は川崎大師への参拝客であふれかえった。
 立川の狙いはまたも見事に的中したのだ。

 恵方参りは、遠くにある有名な寺社に行楽を兼ねて参拝しにいくものに変わっていったのだ。

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 明治39年の東京朝日新聞はこう伝えている。

 「この年の正月、もとの大師電鉄である京浜電気鉄道は初詣客で大にぎわい。……車両が不足し、大騒ぎにまでなった」

 立川が2kmの線路を開通させてから、わずか7年後の話である。

 この大師電鉄の初詣の作戦は、次第に全国の鉄道各社へ広がり、新しい初詣は全国に普及していった。

 現在お正月の習慣となっている初詣の裏には、一人の男の熱い思いがあったのである。


 ちなみに関西の初詣はどうなったか?

 関西は京都、奈良、大阪と神社仏閣が大変多いエリアのため、関東の鉄道会社の影響を受け、関西でも初詣のPRが始まった。

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 これは大軌電車、今の近畿日本鉄道近鉄)が大正3年に出した初詣用の新聞広告。

 「年末、年始のお詣り」
 「春日大社 生駒聖天 瓢箪山稲荷」
 「ご電車増発」
 「大晦日は乗客の御便利を図り、電車夜通し運転」

 実は大晦日終夜運転近鉄電車が最初に始めて、全国に広まった。

 また、関西では昭和に入って、鉄道会社の初詣キャンペーンがたくさんくり広げられたが、中にはこんなものもあった。

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 昭和27年に京阪電車が発売した、お年玉抽選券付きの初詣乗車券。
 特賞はすごい賞品が当たるということで、当時、大変話題になった。

 その特賞の賞品とは、なんと、土地付き一戸建て住宅。
 広さ73坪、場所は京阪沿線の一等地である香里園(大阪府枚方市)。
 当時50万円。現在の価格では2000万円。
 現在、香里園駅付近の住宅を買って2000万円では済まない。

※番組では京浜だけがクローズアップされていますが、成田鉄道と京成電鉄も参拝客輸送を目的として開業された鉄道会社だそうです。以下を参照。
  ・
Wikipedia>初詣
  ・拙エントリー1/6付:「たけしの“教科書に載らない”日本人の謎」良かったです


■■■今さら聞けない!お節料理のヒミツ■■■

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 京都の老舗料亭「下鴨茶寮」の高級お節料理がスタジオに登場。
 4段で20万円のフルコース。

 黒豆、田作り、昆布巻きといった伝統的な料理に、フォアグラ、からすみ、キャビアなど高級食材も。

◆お節料理の意味

 ・伊勢えび
   茹でたり焼いたりすると曲がる。
   腰が曲がるまで長生きでということで、長寿を願う。

 ・昆 布
   「よろこんぶ」で、喜ぶ。

 ・れんこん
   穴が開いている。先を見通せるということで縁起がいい。

 ・数の子
   子孫繁栄。

 ・くわい
   芽が出る。